2006.10.28 Saturday
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2005.09.24 Saturday
のだめ13巻。
のだめカンタービレ #13 (13) 二ノ宮 知子 千秋に愛されてるからか、はたまたパリの空気のせいか(?)、 のだめが随分可愛くなってる気がする13巻。 連載が続いていくにつれ、絵柄が変わっていくのは、 そういうもんだろうと思っているし、構わないんだけれど、 こと野田恵に関しては、連載スタート当時の、ヒロインにしてはビミョーな、 ちょっと間延びした、いかにも変態らしい顔つきのほうが、 私的には好みだったんだけど、どうかしら。 それはさておき。一難去ってまた一難というか、 この巻で、千秋は、またまたパリでも、 とんでもないオケの指揮者に決まってしまって、……嬉しい。 千秋が弄られ、窮地に追い込まれ、変人に翻弄させられ、 とにかく彼がピンチになればなるほど、この漫画は楽しい。 気分は、彼の迷マネージャー、エリーゼといったところ。 いや、迷師匠ミルヒーの気分もか? 「千秋、もっとお苦しみなサーイ!」とへらへら笑いながら見守りたくなる。 千秋が、試練の度にちゃんと成長するからだろう。 ところで、最近とうとう千秋率いるR☆SオーケストラのCDが発売されたけど、 どなたかお求めになられましたか? 私は、今回は手を出さないことに決めたんだけど、 のだめ人気とともに、こういうCD企画が今後も続いていって、 いつか、万が一、のだめ作曲の『もじゃもじゃ組曲』が発売されたりなんかしたら きっと買ってしまうだろうと思う。もじゃミちゃ〜ん、ってピアノを聴いてみたい。 2005.09.23 Friday
彼岸。
22日は墓参り。
暑さ寒さも彼岸までというけれど、なんだか妙に暑い一日。 それで逆上せてしまったのか、 お線香を焚こうとしゃがんで下を向いた瞬間、鼻から何やらぽたり。 鼻血である。鼻血ってこういうときに出るものか。しかも何年ぶりか。 それより何より、今私は下を向きたいのだけれど…… と夏日のような空の下、額に汗をかきながら、頭を上げるしかなかった しばしの間、私は猛烈に間抜けな姿だったに違いない。 墓参りの帰りにでも寄んねえと、昨日電話があったので、 その足で育ての親の家に行く。 鼻血話をしたら、「しゃんしゃんせぇ(しっかりせぇ)」との 仏さまのお怒りだと言われる。そうなのか? もう少し違う警告の仕方がありがたかった。 例えば、と言われると思い付かないけれど、少なくとも鼻血ではない。 しばらく調子が悪かったのもあり、 人と会って話すのは2週間ぶりくらいだったのだが、 育ての「お母ちゃん」は、私から話を出さなくても、 自分に、エンエンいくらでも話がある人で、 なおかつこちらに質問を投げかけてくるタイプではないので こういう本調子ではないときは、楽である。 TVの前に座って、それにチャチャを入れながら、 天皇陛下来岡決定のニュースの話から、 (「来つけもせんもんが来るんじゃけぇ、そりゃあ大騒動になるでえ」とお母ちゃん)、 その昔、となり町に昭和天皇・皇后行幸時には(あとで調べたら40年以上前の話) 「金光町じゅうのもんが観に行ったんで、そりゃあ私も行ったがな、 ふたりともでぇれぇ色が白うてから、ありゃあひとつも日に当たらんけえじゃろうか」 という話に飛び、そこからTVに映る小泉首相の顔を観ながら、 「あっりゃあ、どえれぇもんで。無茶ばあしてから。 きゃあくそが悪ぃ(気分が悪い、腹立たしい)けん、わたしゃあ初めて今回は 投票行かなんだが」と大の選挙好きのお母ちゃんには珍しいことが起きた話になり、 でも、それもこれも、そもそも民主党の岡田が 「笑顔が足りん。笑わんで、話の面白うねぇ政治家はおえん」からだということになり そうこうしているうちに、ヨン様にハマって以来、かかさず毎日観ているらしい 16時からの韓国ドラマが始まったので一緒に観ながら、ストーリーを解説してもらい、 「観てみねえ、韓国ドラマは貧乏人と金持ちと、いじわるな女ばあが出てきて、 たいてい何か病気がらみなんじゃけん」と教えてもらう。 それから中入り後の大相撲を観て、 揚げたてのゲタ(舌平目)を御馳走になって帰ってきた。 間で結構シビアな金の話になって (お母ちゃんは血縁ではないが、私のことを、親代わりでもある私の従姉と しょっちゅう相談しているらしい)、 「まあ、あんたがこのまんま働けん状態じゃったら、生活保護でも 受けんとおえんじゃろうなあ言うて、Hちゃん(私の従姉)とも 話したばあじゃが」と言われる。 私自身、自分の経済状態の破綻は、 このまま精神的に停滞していて働けない状態が続いて行けばそう遠い話ではないし、 ビョーキの回復に関しては、基本的に悲観的なので、 それでも生きていこうとするなら、 そういう方法しか残されていないんだろうなあと思いながら聞いていた (自分が公共の福祉を受けてまで生きる価値があるのかどうかは、また別問題)。 そのくせ、どこか他人事というか、 向上心はおろか危機感も焦りも麻痺してしまっている自分にも気づいた。 そりゃあ、仏さんもお怒りじゃろうて。 仏事は、我が身を振り返るにいい機会だけれど、 向上や改善に結びつかない振り返り方しかできなくなっているんでは意味がなかろう。 と書きながらも、書いているだけでに過ぎなくて、行動につながらないなあ。 2005.09.17 Saturday
本との出会いのタイミング。
本をそんなに普段読まない人でも読んでたり、
一生の宝物とか言いそうな類いの超・超超有名小説を、 実は私はかなりの確率で読んでいない。 以前、村上春樹との対談本である『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』で、 柴田元幸が、『ライ麦畑でつかまえて』、太宰治、『星の王子さま』の三者には、 登場人物なり作者なりのイノセンスにしびれないやつは、 と語っているのを読んだとき、 うぉぉ、私はそれだ!! いや、それ以上だ!! しびれない以前に読んでもねぇし!! と、へらへら笑いつつ、軽く落ち込んだ覚えがある。 星の王子さまは、「表紙の絵だけは知ってま〜す」の状態だし、 太宰は国語の教科書に出てた作品しか読んだことなくて、 読もう読もうと文庫本だけは数冊持ってるけど、どうも気分が乗らないし、 『ライ麦畑〜』(今や『キャッチャー〜』と呼ぶべき!?)にいたっては、 途中で気分が悪くなってやめてしまった。 しかし。この三者なんぞ、私の「読んでないの? 信じれん?」シリーズの ほんの序の口なのであった。 はてさて。ここ数日、まったくもって調子が悪くなってきたので、 いや、ここで「ので」と続けるのは間違ってる気もするんだけれど、 とある、超有名な、おそらく「涙なしでは読めない」感動の名作、 私にとっては「お名前だけは存じております。あと、ストーリーもなんとなく」 だった小説を、原書で読んでみた。 これまた何の自慢にもならないが、私は本当に英文科に行ったんですか? というくらい、英語ができない。 できないので(ここでやっと「ので」の正当化に入る)、 どうせ今は何やっても調子が悪いんだから、英語がわかんなかろうが、 最後まで読めなかろうが、これ以上状態は悪くならないだろう、 という気で読み始めてみた(持ってたんだなあ、「いつかは読まなきゃ」本として)。 読めてしまった。まあ、するする読めたわけじゃなくて、 仕事もしてなくて、時間だけはたっぷりあるのをいいことに、 たっぷり時間をかけてであるが。 でも、読み始めたときに感じていた 「あわよくば読み切ったら、ものすごいブランクの後に 英語で本を読めたという、ちょっとした自信も得られるかも」 みたいな期待は、読了後、見事に打ち砕かれた。 いやそれ以前に、読んでいる最中にも、とっとと放り出したかった。 そのストーリーに、どんどん、どんどん落ち込んでいく一方だったのだ。 最後まで読んだのは、もしかしたら救いがあるかもしれない、という ささやかな希望のためだけだった。しかし、その希望も叶わなかった。 泣きはしたが、感動の涙などというものとは程遠いと自分では思う。 上手いとは思う。よく描かれているとも思う。 でも、身体的苦痛すら感じるほど、最初から最後まで どこをとってもあまりにも自分には辛い内容だったので、 正直言って、「読まなきゃ良かった」とすら思っている。 本を読み終わって、「読まなきゃ良かった」と思ったのは、初めてかもしれない。 相性の悪い本と出会ったとき、 「買わなきゃ良かった」「買って損した」とはよく思うけれど、 「読まなきゃ良かった」とはまず思わない人間なんだけれど。 とはいえ、一方で、前述のイノセント御三家じゃないけれど、 この本に「感動」という言葉をどうにもこうにも使う気になれない自分は、 もしかして感受性がないというか、おかしいんかいな、という気もしている。 わかんない単語、適当にすっとばかしながら読んだからかなあ、とも思うが、 だからといって、実はこれまた「いつかは」状態で 買ってあった訳書のほうを読み直す気にもなれない。 あの、えぐられるような苦痛を再度体験する気にはなれない。 経験を積んで、人として熟してくれば、 「感動」できるときが、いつか来るんだろうか。来てほしいわ。 さもなくば、読んだ記憶すらなくしてしまいたい。ほんまに。 というわけで、結局のところ、何を読んだかというと、 その昔(ってほどでもないか)、ユースケ・サンタマリア主演で ドラマ化されたやつです。あ、そのドラマも私は観てないけど。 2005.09.15 Thursday
片桐仁オンエア。
アサヒ新生の新しいCMを初めて観た。
前回の「その役は誰がやっても一緒じゃねぇかっ! 何のための片桐仁!?」 なバージョンと違い、 今回は、おどおどびくびくしていて、挙動不審で、 締まりがなくて、ぐにゃぐにゃした、片桐仁らしさが 随分出ている(まだまだ不十分だが、それはファンの欲目)、 そして前回より遥かに露出度が高い。 仁ちゃん!!!! と思わずTVの前で叫ぶ私。 TVにあまり出ないことも含めて好きなラーメンズだが、 それでも、いやだからこそ、たまにTVで顔を拝めると本当に嬉しい。 そういえば、この秋は仁ちゃん主演の芝居が上演される。 行きたいなあ、行けるかな。 2005.09.14 Wednesday
弛緩。
急に発作的に、アルコールに手を伸ばしてみた。
一時期は、毎晩呑んでたのに、この夏ちょっと仕事した時期あたりから ぴったり止めていたのだが。 なんで冷凍庫にウォッカがあったかというと、 ず〜っとず〜っと前に、飲兵衛仲間が集まったときに買ったやつの残りなんだけど、 独りで呑んだら危険でしょ、と毎晩呑んでたときも絶対手は出さずにおった。 これを今夜は、ちびっとだけ呑んでみた。 すごい。酒って久しぶりに呑むと、とってもよく効く。 ことに洋酒は、カラダが見事に緩む。 しかも、ビールのようにお腹がパンパカパンになるという 「もう止めましょう」堤防がないのは非常にヤバい。 うちのアパートの目の前にある駅には、 毎日、どう見ても一日中呑んでるに違いない 赤ら顔のおっさんがうろうろしていて、毎日、キオスクの店員さんや 駅の利用者にからみまくっているのだが、 なんだかそのおっさんの仲間入りをしたような気分がちょっとする。 キーワード=ろくでなし。 あのおっさんは、罪悪感からはもう卒業してるんだろうか。 2005.09.11 Sunday
投票せず。
ここ数日、自民優勢の声を聞き始めてから、一気に興味が冷めちゃって。
夕方までうだうだどうしようか悩んで、結局出かけんかった。 最初のころは面白がってたんだけどなあ。 なんだかねぇ……。 ちと、またエネルギー低下気味。 2005.09.08 Thursday
『シッダールタ』。
シッダールタ ヘッセ, 高橋 健二 『車輪の下』と『デミアン』の人くらいにしか 思ってなかった私をお許しください。 それしか読んでなかったのに、晩年の写真を見て、「かっこいい爺さんだあ」 なんて思ってた時期(20代半ば)があった私をお許しください。 ……とヘッセに謝ってみる。 バラモンの子、シッダールタと親友ゴーヴィンダが真実を求めて旅に出る。 途中、仏陀に出会い、その後に従うのはゴーヴィンダ。 主人公シッダールタは仏陀を、 これまでに会ったことのない完全な人と認識しながらも そのそばを離れ、町に出る。 そして老いて、再び出会ったこの二人のうち、 悟りの境地に達していたのはシッダールタのほうだった。 小説というよりも、寓話を読んでいるような気分にさせられる作品。 文体はいたってシンプル。展開に驚きはなく、変に物語に慣れた身では 「世の中って、そういうもんだろう」と軽く片付けてしまいそうになる。 でも、深い。世界や人生をアタマで理解するだけでなく、 本当に「腑に落ちる」ところまで行くことの難しさが描かれている。 実際、この作品を「腑に落ちる」ところまで味わえるようになるのには、 きっとすごく時間がかかるんだろう。 折に触れて読み返したいなあ、と久々に思えた本。 改めて。ヘッセ、かっこええ。 2005.09.05 Monday
遅ればせながら『積木くずし真相』。
放映から2日経っちゃったし、
自分の気分としても感情のピークを過ぎちゃったんだけど、 前編の感想だけで終わるのは、気持ち悪いんで書いとくか。 『積木くずし真相』後編は、その日お泊まりさせてもらった エリザベス嬢のおうちで観た。よく泣いた。いい演技をたくさん観た。 ドラマのハイライトシーンで、あまりにもよく流れたせいで、 平井堅の歌声が、しばらくループして困った。 ……にしても、泣きながらいちいち思ったのは。 「大事なんだったらさあ、そうじゃなくてさあ」ってやつ。 父も、母も、娘も。 それぞれの感情はとても濃く、お互いを想い合っているのに、 見事に、肝心なことは言わないでおく、 言ってはいけない見せてはいけないと自粛し合ってる家族。 杉田かおる演じる母親が自殺したところなんて、サイアク過ぎて、 大げさではなく、観ながら血の気が引いて倒れそうになっちまった。 ドラマのなかの朋美、そしてモデルとなった穂積由香利さんは 亡くなったとき35歳。ワタクシtamakoもただいま35歳。 なんだかいろいろ考えてしまった。 9月になっちゃった! なんて気分だけジタバタしてるうちに、もう5日経ってるし。 自覚してないだけで、きっといろんな締切が近づいてるんだなあ、本当は。 2005.09.03 Saturday
祇園の教訓。
祇園の教訓―昇る人、昇りきらずに終わる人 岩崎 峰子 8月30日の記事に書いた『芸妓峰子の花いくさ』の著者の、別の著作を発見。 あ、我が家の中によ。買った記憶無かったし(読んだ形跡無かったし)、 それより「何故ここに!?」という場所から、 相変わらず、いろんなモンが見つかる我が家。 掃除って、やってみるもんだ(違うだろ。新居探しもだが、片づけも相変わらず課題)。 それにしても、なんでこの本買ったんだろうなあ、と思い出そうとしながら読んでみて、 結局、そのときの気分や状況はまったく思い出せなかったんだけど、 改めて感じたのは、自分にとって「京都」がいかにミステリアスな街かということ。 読み終われば、それ以前より幾ばくかは知識は増えているはずなのに、 やっぱりミステリアスのまま。異国じゃ。 ここに描かれている祇園甲部は、 京都のなかでもまたさらに特殊な世界なんだろうけど。 そういえば、関西出身の友人・知人は何人かいるんだけど、 そのなかに京都出身者はいないし(学生時代や社会人になってから 何年か京都に住んだことのある人はいるけど)、 私自身、小学校の修学旅行と、社会人になって1回だけ関西出張の帰りに 半日だけ立ち寄った以外に、京都に足を踏み入れた経験がない。 この本を読んで、もちろん、京都、それから京都の花柳界に対する 興味はフツフツと沸いてきて、行ってみたくなったんだけど。 しばらくは行かないだろうなあ、と思った。正しくは、改めて 「まだまだ行っちゃいけない」と痛感した。 私にとって、京都って、パリと同格で、 若い頃から、なんだか「似合うだけの格が出来るまで行っちゃいけない街」なのだ。 ここ数年、海外旅行も行ってないけど、海外に結構気楽に行ってた時期も、 興味と関心はありつつも、いつもパリは「いかん、まだやろう」 と毎度選択肢から外してて、そういう気持ちを京都に対しても感じている。 な〜んてことを書くと、 今まで旅行したことのある他の街から 「じゃあ何かい、うちには似合うと思って来たんかい? あんたがかい? ええ根性しとるやんけ」と怒られてしまいそうだし (いえいえ、似合うだなんて滅相もない)、 10年以上住んでた東京になんて、「おこがましいんじゃ」と言われそうなんだけど、 うまく言えないけど、なんか「別格」なんだよなあ。パリと京都は。 20代のころは、「30代になったら」と思ってたけど、今や「40歳までには……」 と、「行ってもいい年齢」を引き上げていたりする。……間に合わんかった。 「行ってよし」になる具体的な基準があるわけではないが、 少なくとも、今の自分の状態ではまだ「立ち入り禁止」区域だ。 はてさて。そんな個人的な事情(?)はさておき、 サブタイトルあたりから一瞬期待しそうなビジネス書としての機能なんぞ、 まったく期待せず、京都花柳界の裏事情本、あるいは元芸妓のエッセイとして読めば この本はまたまた面白かった。 浮き世を忘れる別世界を演出するプロとしての 舞妓さん、芸妓さんの、これまた浮き世離れした日常。 その随所に、たとえば客との、あるいは置屋やお茶屋の裏方さんとの間に 明確な一線というのが引かれていて、その厳密さには恐れ入る。 同じ屋根の下に暮らしていても、置屋の跡取の著者と、 世話役の女衆(「おんなし」と呼ぶそうな)さんたちとは、 使うトイレや洗面所も、食事も違ったとか。 グジなどの白身魚しか食べたことがなかった著者は、初めて鮭を見たとき、 傷んだ色だと勘違いしたほどだったなど、びっくりするエピソードが満載だ。 この見事な純粋培養による無邪気さと、若くして 職業がら人の裏の裏まで垣間みてしまうがゆえの老成ぶりのアンバランスがいい。 それに、舞を始めとする伝統文化の継承者としての顔もあるわけで、 いやはや、舞妓さん、芸妓さんというのは、面白い存在だなあ。 このまま行くと、間違いなく『さゆり』も読んじゃうな。 ん? 映画いつ公開だったっけ? |